当山の縁起

当初の開山に関する寺誌は不詳。本寺の中興開山は、寛永十七年(1640)奥州白河(福島県)生まれの行鑁(ぎょうばん)上人による。上人は当時、村(現明和町)に流行していた疫病から村人を救うため大般若経六百巻、光明真言を百万遍、それぞれのお経の一字ずつを一つの石に書写し、一字を書いては三礼するという一大発願しました。書写し終ったのは正徳三年(1713)5月25日、上人73歳の時でした。

行鑁上人写経の図
●行鑁上人写経の図

そして、この石を村の四隅と鎮守社(天満宮)の西北に埋め上人臨終の際には『年の5〜7月は疫病の流行する時節である。そこで我が法要を5月に修すべし』と遺言し息絶えたといわれております。享保2年(1717)9月27日、上人77歳でした。それからは遺言の通り毎年5月27日に『石経様』という法要を修し、村には長く疫病の心配もなく今日に至っております。 

この石の所在を明らかにするため建立された塔(石経円塔)の下から、お経を書いた石が多数発掘され、その一部が当寺に保管されております。

当寺では行鑁上人の遺徳を偲んで毎年7月に行鑁堂(上人の墓を覆うお堂)での法要、そして境内では行鑁祭(夏祭り)が行われております。

行鑁上人のサインと花押
●行鑁上人のサインと花押
行鑁上人真筆
●行鑁上人真筆